前回は、自然の支援を得るためには直感を働かせる必要があることと、家づくりにおける土地の諸条件についてご紹介しました。今回はその諸条件の中でも「特に注意すべき条件」について、ヒマラヤハウス®︎ の視点より見解を述べます。前回は一般的に考えが及ぶと思われる範囲について扱いましたが、今回ご紹介する条件は可視化しにくいため一般的には認知されていないものです。ですから今回登場する概念に驚かれる方もいるとは思われますが、具体例を交え分かりやすく考察することに努めますので、是非最後までご高覧ください。
人が快適に生活するのに適した環境を考えた時、誰もが心地よく過ごせることが大切であると前回お伝えしました。そのことを踏まえますと、極力避けるべき環境として、神社・仏閣・宗教施設等のパワースポット、大きな病院、刑務所が周囲にある環境が挙げられます。
特にパワースポットは近年ブームとなっているのに、避けるべきであるのはなぜでしょうか?『 ヒマラヤハウスの空間ヒーリング®︎ ヴァーストゥ 』の視点より、ご説明します。
近年のパワースポットブームにおいて、人々の多くの否定性の ‘ 預け ’ 先となっているパワースポットの環境が、周囲の環境の恩恵を搾取する ‘ 貰い ’ を引き起こしていることをご存知でしょうか。
ストレスの多い社会の中、一般の人々の心理において、神社・仏閣・宗教施設等で祈願する想いの根本には、自分の力不足や不遇を助けてくださいといった意味合いが強く含まれています。そのように他力に頼っている情態は、ご利益を求めて神仏に依存・依頼している情態であると受取れます。
確かに、私たちは神(※ 自然の法則)に生命(いのち)を与えられ生きていますから、ある程度はその神を頼り、すがることは理解できます。
しかし、このような情態も度を越えてしまえば、他環境・他者に自己の否定性を預けることになるのではないでしょうか。
人々が神や仏として意識を向ける先は、その場を司る自然の法則(環境)にほかなりません。
基本的に、自然の法則は万物を生かし、助けるように働きます。けれども、相対界の全てにおいて容量(キャパシティ)には限度があるため、自然の法則による恩恵は無尽蔵というわけではないことがヴェーダより理解できます。
よって、ある一定の容量が搾取されると、ほかからそれを補うように力が働きます。
以上が ‘ 預け ’ が原因となり ‘ 貰い ’ という結果を生じる理由となります。
少々込み入った話になりますので、 ‘ 預け ’ と ‘ 貰い ’ についてもう一度整理してみましょう。
・原因 ‘ 預け ’
環境に人々の否定性が過剰量 ‘ 預け ’ られると、その環境の処理能力の容量を上回ってしまいます。
・結果 ‘ 貰い ’
否定性を預けられた環境は、本来在るべき豊かさ・健全さを回復するのに必要な質(容量)を補うため、必然的に周囲の環境からその質(容量)を引き寄せるよう力が働きます。これは環境の防御反応であり、ある環境が周囲の環境から必要な質を ‘ 貰う ’ という現象です。
したがって、預けの先に貰いが生じることとなり、 ‘ 預け、貰い ’ という現象が引き起こされると推察されます。 ‘ 預け ’ と ‘ 貰い ’ は、相反する質であり、光と影、陰と陽、表と裏のような関係です。
パワースポットの環境においては、様々な ‘ 預け、貰い ’ の繰り返しにより、周囲の環境は疲弊し、豊かさ・健全さを回復できなくなっていくと言えます。
ここで、パワースポットの環境について、TVニュース等に取り上げられた神社の事例等をご紹介します。観光公害の例と思えます。 ‘ 預け、貰い ’ とは切り離し、あくまで社会的に考察すべき出来事としてご理解ください。
この神社は、ある時から、毎月一日限定で通常のお守りとは違う特別なお守りの頒布を始めました。しばらくすると、このお守りの「ご利益」と思われる噂話がSNSを中心とする口コミで広がり、更に一か月に一度だけ頒布されるというプレミア性も手伝って、このお守りを求め毎回多くの参拝客が同神社を訪れるようになったそうです。
しかし、神社の人気が過熱する一方で、神社周囲の環境は大きく変化し混乱が生じてしまいました。道路は大混雑し、2018年4月には25kmもの渋滞が発生したそうです。また、一部の参拝客の中には道中に車を放置し徒歩で神社へと出向く者もあらわれました。これより、神社近くの駐車場不足、物資の輸送困難なども併発し、近隣の住民からは数えきれないほどの苦情が寄せられたとのことでした。
一連の事情を踏まえて、同神社は開始から5年ほどでこのお守りの頒布を中止しているようです。
推察ですが、この出来事は、多くの人々に幸福になっていただきたい、との善意からの行為(お守りの頒布)があっという間にブームとなり、ご利益を求める集団心理より大きな変化と混乱を生じた一例と思われます。
また、東洋の神秘と言われる日本の自然や街並みには、風水の知識に関係する部分もあり、パワースポット化している環境もあります。そのような環境を求め、世界中から人々が押し寄せることより変化と混乱を生じた事例等についても、度々報じられています。
私たちはパワースポットとその周囲の環境について、共に考えるべきではないでしょうか。
同時に、SNSにより情報が拡散されることの良し悪しについても一考する余地があると思われます。ひと昔前であれば、ニュースで取り上げられた程度でそれほど多くの人々が出向くことは稀でした。しかし現在は、SNSにより誰もが情報を発信、拡散できるため、知る人ぞ知る秘境のパワースポットが、身近で手の届くものとして捉えられ、多くの人が足を運ぶ結果となってしまいました。もちろん、SNSでは良い情報も流れるのですが、これらの事例ではSNSの検討すべき側面が出てしまったのではないでしょうか。
ここまで ‘ 預け、貰い ’ が環境を疲弊させることについて扱いましたが、「環境が疲弊する」とは一体どのような現象でしょうか?
身近な例として、私たちの身体について見てみましょう。例えば、食べ過ぎてしまった後に身体の動きが鈍くなる、という感覚を持ったことはありませんか?
※ アーユルヴェーダ的には、この現象は食べ過ぎによって生命の火である「※ アグニ(消化力・代謝力)」の働きが落ち、消化不良となって、身体に「アーマ(未消化物)」が蓄積され、動きが鈍くなる、と説明されます。
これと同様の現象が環境にも起こると言えます。環境にも「アグニ」の働きが存在し、消化と代謝が行われることによって、豊かさ・健全さを回復できます。それによって環境はより洗練された状態へと移行します。
ところが、私たちが食べ過ぎた時と同様に、多くの否定性を預けられ負荷がかかった環境では消化と代謝がうまく行われず、未消化(不活性・不全)が引き起こされ、その環境の動きは鈍くなります。
また、環境が疲弊し、動きが鈍くなることは、処理能力を超えてメモリ不足となったパソコンがフリーズして動かなくなることと同様の現象としても説明できます。
私たちは環境から常に大きな影響を受けています。したがって、疲弊し、メモリ不足の動きの鈍い環境に身を置くと、通常は生きるために様々に動いている私たちの意識と身体の動きもまた鈍くなり、フリーズしてしまうと考えられます。
意識と身体の動きが鈍くなることは、ヴェーダ的な観点からすると避けるべき事態となります。
それはいったいなぜでしょうか。
その理由は、 私たちがこの世界で果たすべき行動である「意識の成長」を妨げる からです。
ストレスフルな日常生活を生き抜く中で多くの人々が忘れてしまいがちなこととは思われますが、実は人は今生での役割(ダルマ、使命)を遂行し、成長(進化)すべく生きています。
そのためには、この世界を創造する※ 4つの精妙な観念のうち、動きや変化を伴う「時・時間」が必要です。「時・時間」が「動き」を創り出し、「動き」が「広がり」を創り出し、「広がり」から「空間」が生まれます。そして、その「空間」において進化することが可能になります。言い換えれば、たとえそこに「時・時間」があったとしても、それが停滞していて「広がり」が創り出されなければ、成長することはできないということです。
したがって、動きや変化をもたらす「時・時間」が停滞している疲弊した環境では、環境も人間も前進できない、すなわち成長できないことが推測されます。
今やファッションの一つとして、多くの人々がパワースポットについて騒ぎたて、むやみに情報発信し、ご利益を求めて足を運ぶことが流行しています。
しかしながら近年のパワースポットブームは、たとえそうとは意識していなくても、自己のみの利益のために他環境の恩恵を搾取する行為になりかねません。
それは、ヒマラヤハウスのめざす「※ 公共性の創造」に反して、他環境を疲弊させ、成長に不可欠な時までも停滞させ、自然の法則を乱すことに繋がってしまいます。
また、流行のパワースポットより「真の知識の享受」が可能であるかも疑問となります。
自然の法則(神)へ感謝し、配慮することが献身的な態様と言えるでしょう。そのように「献身」を保ち続けることで、ヴェーダによって崇高な世界へと導かれるのではないでしょうか。そのとき私たちは、現状からは考えも及ばないような新しいステージに立つことができると思えます。
‘ ※ 環境の転生®︎ ’ です。
これまで述べてきたヒマラヤハウスの見解について、ご理解いただけましたでしょうか。
パワースポット等に関する考察より、 ‘ 預け、貰い ’ が生ずる仕組みを以下に示します。
ある環境に人々が多くの否定性を ‘ 預け ’ てしまう
↓
本来はその環境と周囲の環境を活かすために存在するはずの質(容量)が搾取されてしまう
↓
周囲の環境も疲弊し、豊かさ・健全さの回復が困難となる
↓
環境の動きが不活性となる
↓
「時」が停滞し、成長を阻まれる
この ‘ 預け ’ から生じる一連の流れは、自然の法則を乱していることとなります。
同様に、総合病院等の入院施設のある大病院の環境は、人々の病や怪我を癒すために相応の自然の法則が消耗されると考えられます。
パワースポットと同様の仕組みより、周囲の環境が疲弊することがご理解いただけると思います。
また、刑務所周囲の環境についてもパワースポット、大病院の例と同様のことが言えます。
ストレスの蔓延する社会の影響により、環境に否定性が増大すると、その否定性に巻かれ罪を犯してしまう人も出てきます。
刑務所では、罪を犯した人自身を更生させるのと同時に、その人の、否定性に巻かれた環境と意識をも更生させる力が働くと思えます。その更生の過程においては絶大なる自然の法則の支援が必要なので、刑務所周囲の環境は疲弊するということが理解できるでしょう。
‘ 預け ’ の先が ‘ 貰い ’ になるという環境の負の連鎖は繰り返されていきます。負の連鎖、と聞くと「いじめの連鎖」をイメージされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
いじめを受けた者が自分より弱い者をいじめて自己を満たそうとすることにより、いじめの「負の連鎖」は繰り返されますが、すべての人々が「真の勝ち組」を理解し、遂行するとき、弱者はいなくなり、終止符が打たれることでしょう。
ヒマラヤハウスでは、たとえ無意識であれ、悪意がなかろうとも、自己の満足のみを求めて他環境(他者)に否定性を預けてしまうことは、他環境(他者)への※ 侵害行為にほかならないと理解しています。
疲弊したから、という理由で他環境を犠牲にして問題を解決することは許容される行為でしょうか?
世界は、※ カルマの法則という、作用・反作用の理が働くことこそが、譲れない自然界のルールとなります。人は、どんなに足搔(あが)いてもその掟に抗(あらが)うことはできないのです。
カルマの法則をも理解し、たとえ自身の環境が疲弊していたとしても、他環境(他者)を侵害してしまうことで解決しようとするのではなく、各人の純粋な自己努力によって「改善」をめざすこと、すなわち、他環境(他者)と共に生きる(活きる)ことこそが自然の法則に沿った正しき道 ― 公共性の創造 ― であると確信します。
本来、ヴァーストゥ(インド風水)とは、聖者が洞察した宇宙の真理であり、自然の法則そのものです。
これに対し、現代の環境を扱う知識の中には、意識レベルにおいてヴァーストゥの真髄(しんずい)を理解できずに目先の利益に特化した知識を乱用することで、自然の法則を乱しかねないものも多数存在するように感じます。
ですから、他環境(他者)と共に生きる(活きる)ためには、自己のみの利益に惑わされることなく、真理を見極めることがとても大切となります。
ヒマラヤハウスは、豊かで健全な環境づくり『 空間ヒーリング® 』を行っています。
空間ヒーリングは、他環境(他者)に否定性を預けることなく、「環境の活性化」をめざす唯一無二のArt(技術)です。是非ご活用ください。
※ 意識より侵害行為をとらえた記事「ヴァーストゥ(インド風水)4 ― 意識と境界線 ―」を是非ご高覧ください。
以上が、『 ヒマラヤハウスの空間ヒーリング®︎ ヴァーストゥ 』の視点より、家づくりにおいて、神社・仏閣・宗教施設などのパワースポット、大きな病院、刑務所が近くにある環境は、疲弊して否定性が増大しやすいため、特に注意すべきであると考える根拠となります。
なお、本記事の事例につきましては、パワースポット巡りを否定的に捉えたものではなく、「自然(環境)に感謝し、他環境・他者に配慮しバランス良く」との願いより、共に考えるべき題材としてご紹介しましたことをご理解いただけましたら幸いです。
最後までお読みくださりありがとうございました。
つづく〜
◻ヴァーストゥ関連記事
ヴァーストゥ(インド風水)2 ― ヒマラヤハウス® の家づくり ―