先進国日本に対して、外国人は未だに ‘ チョンマゲ ’ のイメージを色濃く持つのは何故でしょうか?
ヒマラヤハウス® では、その要因は江戸時代に遡り、1639年より200年余続いた「鎖国」にある、と考えています。
鎖国とは、文字通り「国を閉鎖すること」― それは「その時代の環境(時空)を止める・留めること」にも繋がります。
現在は2010年代ですが、鎖国により、環境の一部でも200年余の時空が止まっていたとしたら...
私たちの世界には、未だ江戸後期の初頭、1800年頃の環境の記憶(時空の想念)が存在(残留)していることになります。
まるでタイムスリップしたかのような話と感じられるかもしれませんが、閉鎖された環境では、その時代の文化の印象が強く根付くと理解できます。
1800年頃の日本の印象とは、まさに武士の時代の象徴であるチョンマゲ・刀等に代表されるのではないでしょうか?
江戸幕府のつくった鎖国という名の ‘ 巨大な傘 ’ が日本の環境をすっぽりと覆い、環境を閉ざし、時空が止まってしまったことが想像できるでしょう。
進化から取り残された別世界のように...
では、何故、江戸時代の多様な文化の中で ‘ チョンマゲ ’ が強く印象付けられているのでしょうか?
そこには、強い ‘ 想い ’ が在るからです。
武士のチョンマゲ・刀とは、その時代の ‘ 誇り ’ と言ってもよいでしょう。
その ‘ 誇り ’ が ‘ 強い想念=記憶 ’ となって、現在の環境にまで留まっている、とヒマラヤハウスでは考えます。
閉ざされた環境において、想念は抜ける場がないため、そこに残留します。
「エレベーターに閉じ込められた」というトラウマが、いつまでも残ることと同様です。
文化として ‘ チョンマゲ ’ の印象が根強く残っている一方、文明は時代とともに進化を続けています。
現在、都心では超高層ビルが立ち並び、私たちの身の周りは便利な生活用品で溢れています。
これより、江戸時代において、一般的な住居や生活用品は「武士の誇りではなかった= ‘ 想い ’ 入れが少なかった」ため、環境の記憶として留まらなかったことが推測できます。
外国人の中に、「超高層ビル街をチョンマゲ姿の日本人が歩いているイメージ ― 現実とのギャップ」が生まれた所以と言えるでしょう。
📝追記
‘ 想い=想念 ’ とは、いつまでも根強く残ります。
負の想い・怨みが生霊となり、いつまでも環境に残留することは有名な一例です。
強い負の想いは重く、動き(時空・進化)を止めてしまうでしょう。
‘ 想い ’ が ‘ 重い ’ になってはいけません。
環境には『 純粋な動き 』が必要です。