贄(生贄) ― 呪いによりつくられた不幸 ―

美しいオーラをつくるヴァーストゥの知識
はじめに

ヒマラヤハウス® は、お客様と接している中で「特定の個人や集団に否定性が集中している」と思われる相談を度々受けます。
そして、相談には共通項があることが分かってきました。
また、この世の不幸・不調和の根底に呪術や呪いの類が存在することを直感的に捉えています。
それらを、特にヴェーダの中でも、意識と環境の知識 ヴァーストゥ により改善をめざします。その過程において、‘ 贄(にえ)’ と呼ぶに妥当なものを発見しました。

この記事では、特定の個人や集団に否定性が集中するシステム、‘ 贄 ’ という単語をキーワードに、理不尽といえる不幸の本質に迫っていきたいと思います。
その中で、ヒマラヤハウスのめざす心地よい環境づくりの一環より、敢えて ‘ 呪い ’ についても触れております。
共に幸福となるべく私たちの在り方を、ご一緒に考えていただけましたら幸いです。

ぜひ、最後までお読みください。


‘ 贄 ’ とは何か

‘ 贄 ’ という言葉は、なじみのない方も多いと思われますが、一般的に贄(にえ)とは、「神などに供する食物の総称、及びその制度」という意味合いで使われています。
わが国で古くから続いている、神・自然に食物や供物を捧げる風習を指しているとお考えください。
似た言葉に「生贄」(いけにえ)がありますが、こちらは「神への供物として生きた動物を捧げること」という意味になります。

私たちは、神に捧げる供物や食物が厳密には人間とも言えてしまうことから、‘ 贄 ’ という言葉を使いますが、「生贄」と同様にご理解いただければと思います。


‘ 呪い ’ というビジネス

2014年にテレビ番組で「呪い代行業者の驚きの実態を暴く」と銘打った特集がありました(深夜ではなく、ゴールデンタイムでの放送でした)。
その内容は、神や仏に関わる職を本業とする人たちが「呪い代行業者」となり、依頼者の代わりに呪いをかけて報酬を得る、というもので、代行業者らはインターネットで依頼を受け、料金は術者のランクや呪いの種類で変動する、と紹介されていました。

この「呪い代行業者」の存在は、日本に呪術・呪い文化がまだ根深く残っていることを裏付けています。

ほかにも、古代においては、邪馬台国の女帝が呪術を用い同国の繁栄を目論んでいた、という説もあるようです。現代においても、一般的に知られている藁人形・お百度参り・こっくりさんなどは簡単な呪いの一種となります。
また、2000年代初頭に話題となった映画「陰陽師」では、時の権力者に仕えた安倍晴明らが、様々な呪術や呪いに精通し、その技法より時代をつくってきたことが映されています。「光る君へ」でも呪詛という言葉が度々使われます。

これらの事例が示しているように、日本における「呪い文化」は、意外にも生活様式に密接と言えるものではないでしょうか。


‘ 贄 ’ という現象とは

ヒマラヤハウスがお客様から受けた相談の中に、「何をやってもうまくいかない」という類のものが多々あります。

いくつか分かりやすい例を挙げます。

両親も兄も姉も有名大学を卒業し医者や官僚である、という家庭を想像してください。
まるで絵に描いたようなエリート一家の中で、一人だけ引きこもりになるということがあったりします。

ほかにも、大人社会では、大企業に勤務し、同期の中で抜きん出た才能を発揮しているにも関わらず不遇である。子供社会では、一見楽しそうなクラスに見えるけれど、実は自身がイジメやイジリの対象となってストレスを一身に引き受けることにより、クラスが盛り上がる、等の話やニュースも耳にしたことがあります。

また、由緒正しい家柄(一族)の中で、ある家族にのみ不幸が集中する、というように、被害の及ぶ範囲が特定の個人だけでなく集団の場合もあるようです。

このような事例以外にも、病気・事故・事件・厄災などを含めて、集団や組織の中の最小(一つの)単位が犠牲となり、他を繁栄させているであろう数多の事象を観察していく中の共通項として、‘ 贄 ’ というシステムの存在を理解するに到りました。


では、いったいなぜ ‘ 贄 ’ という現象がつくられてしまうのでしょうか?

ヒマラヤハウスは、‘ 贄 ’ には大きく、先天的なものと後天的なものの2種類があると捉えており、それぞれについて理解するところを大まかに述べたいと思います。

まず、「先天的な ‘ 贄 ’」のご説明のために、インドの純粋な知識 ‘ ヴェーダ ’ の一部門である ‘ジョーティシュ ’ をご紹介させていただきます。
ジョーティシュはインドの算術であるヴェーダ数学が深く関わり(素早く暗算ができるテクニックである「インド式数学」を思い浮かべてください)、未来を正確に予見することができる知識と言われています。

古代インドの叡智に端を発し、その流れを汲んだ西洋・東洋の占いは世界中に伝播しており、手相や顔相等にも関係しています。
未来の予見により、いわゆる「天中殺」のような否定性の集中する時期を、個人だけでなく集団においても算出することが可能となります。

例えば、時の権力者とその集団を占った場合、その環境には当然、浮き沈みがあります。
宿命的な好調期・不調期とお考えください。
当然、不調期には多岐に渡り否定性や不運の重複が起きやすく、場合によっては一族(集団や組織)の滅亡すら予見できます。

それらの回避術として開発された邪法の存在 ― 究極的に不調期の数々の要素をほかに預ける・擦りつける技法(技法群)を捉えることができました。
それらが ‘ 贄 ’ です。

一例ですが、ある時代の周期を予見し、その世代に嫁いだ一人の女性に一族の否定性や不運が集中するように仕組むのです... 大変恐ろしく信じ難いことですが。代々、嫁いだ女性が、○○才以降に不幸になっているという因縁めいた話を聞いたことがあります。

このように、過去に予見された否定性や不運でさえ、流転の段階において、ほかの環境(個人・集団等)に預ける回避術が「先天的な ‘ 贄 ’」です。今生で発現するよう仕組まれた他生(過去)に起因する「生まれ持ってしまった ‘ 呪い ’」と言い換えられます。

大変残念なことですが、本来のジョーティシュは純粋極まりない知識であるにも関わらず、その伝達・伝播の過程において、呪術や呪いのようなものができてしまったと考えられます。


対して、「呪い代行業者の驚きの実態を暴く」で紹介されていたような「今生に起因する」類のものを、「後天的な ‘ 贄 ’」と呼んでいます。現在進行形で、かけられる様々な呪いや呪術です。

後天的な ‘ 贄 ’ は技法だけでなく、ストレスの多い現代社会において「気にくわないアイツで憂さ晴らしをしたい」という多勢による否定的な想い(集団心理)によって発生することもあります。
集団の想いは思念体となり、「環境の生霊」と呼べるものになります。単なる生霊を超える、もはや呪いです。

なお、想いであれ、‘ 贄 ’ を作り出してしまうことは、本来の環境(純粋な場=ヴァーストゥ)への重大な侵害行為となります。
詳しくは、「ヴァーストゥ(インド風水)4 ― 意識と境界線 ―」をお読みください。

参考までに、‘ 贄 ’ が発現しやすい条件に「転機」があります。
例えば、入園・入学・入社、引越し、転勤・転校、結婚etc.

先天的にせよ、後天的にせよ、個人や団体において「新たな場」で活動を開始する、いわば、環境のリズムが変わる時です。
悲しいことに現在の人類の意識レベルでは、それぞれの環境・集団の中で一身に不幸を背負わすことのできる犠牲者を求めてしまうのでしょう。

ヒマラヤハウスでは、どちらの ‘ 贄 ’ も人間のエゴからつくられた単なる否定性でしかなく、本来在るべき姿「公共性 ― 純粋な摂理(秩序)と共に在ること」からは、かけ離れてしまっていると痛感しています。



日常の ‘ 贄 ’ と ‘ 預け ’

ここまで、究極の預ける・擦りつける技法 ‘ 贄 ’ についてお伝えしましたが、もっと一般的な ‘ 預け ’ も存在します。
例えば、「痛いの痛いの飛んでいけ!」というような「おまじない」は、簡単な呪いであり ‘ 預け ’ の一つです。

そう、「おまじない」といえば、このような話があります。
ある閉鎖的な町で、「ものごとがうまく運ばない、心配なこと、不安なことが山積みになっている」と思い悩む男性がいました。
そのことを聞いた母親は、すぐさま「モニョモニョ」と何かを唱えました。何を唱えたのか尋ねたところ、その家に代々伝わる「おまじない」で、ものごとの好転のために唱えるのだそうです。禍々しさを感じたことを覚えています。

それは ‘ 預け ’ の技法を使っている現場を、目の当たりにした瞬間でした。
可視化できるものではないため、直感で捉えたとしかいえませんが、後々の分析において、‘ 贄 ’ をつくり出す ‘ 預け ’ の技法の一つであるとの理解に到りました。

果たして母親は、「おまじない」が ‘ 贄 ’ に加担しているであろうことを知っていたのでしょうか...?
その後、その家に嫁いだ女性より、‘ 贄 ’ をイメージさせる相談を受けたのです。
複雑ですが、贄に関する分析、除去のシステムが向上するきっかけとなりました。


最後に

‘ 贄・預け ’ は連鎖します。人は、他人の ‘ 贄 ’ を預けられると、無意識であっても次の預け先を探そうとする心理が働きます。
「いじめの連鎖」をイメージしてください。

このような ‘ 贄 ’ の連鎖が繰り返されることにより、本来の自分にはない不幸に苛まれる犠牲者が後を絶ちません。
同時に犠牲者の(不幸から解放されたい)という一念より、次の犠牲者を探すという行為は悪いカルマ(業)として、最終的に自分に帰することになります。

‘ 贄 ’ の連鎖を断ち切るべく努めることこそ、理より公共性の創造に適った行為 ― 良いカルマ(徳)と言えます。

ヒマラヤハウス では、空間ヒーリング®︎ ヴァーストゥ(意識と環境のヨーガ)により、‘ 贄・預けや呪い ’ が消滅することをめざし、様々な技術を日々開発しています。
呪い・呪術に対して 防御や除去をめざすヤントラなどです。

この記事について思い当たる方がおられましたら、どうぞご相談ください。
ヴァーストゥの知識を活用したコンサルティング ― 空間ヒーリング® & Ω® があります。
(内容によっては料金が高額になります。)

「不遇である...。」
そんな思いを抱いたことのある方に、この記事が、より良い環境、より良い人生を創造してゆく一つのきっかけになれば幸いです。


ヒマラヤハウスサイト画像